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【インタビュー】私は藍染め作家ではなく藍染め屋さんでいたい。(前編)/南部 歩美さん

今回取材させて頂いた南部歩美さんが、「藍染め屋aiya」の活動を始めたのが2015年夏のこと。

自然豊かな魚津市鹿熊にある古民家の自宅を開放し、藍染め体験を実施しながら、藍染や里山での暮らしの魅力を多くの人に発信しています。

現在、中学校と幼稚園に通う2人の子どもを育てる母親でもある南部さん。

子育てをしながら藍染め屋として活躍されている背景や、藍染めに対する想いなど、お話を伺ってきました。

藍染めをやりたい!!

————–南部さんは、もともと富山市出身とのことですが、これまで京都やオーストラリアなどでの暮らしを経て、結婚を機に魚津市での暮らしを始めたんですね。南部さんは現在、藍染め屋として活動されていますが、どうして藍染めを始めようと思われたんですか?


南部歩美さん(以下、南部さん):長女が幼い頃、一度旅行で訪れた先で藍染め体験をしたことがありました。
私は20歳で長女を出産したこともあり、20代のほとんどの時間は子ども中心の生活でした。

そんな中で「藍染め」に出会い、その色と藍の持つ魅力に強く惹かれましたね。
それから実際に藍染めを始めるまで時間はかかりましたが、その時の感動は今も鮮明に覚えています。

————–その藍染め体験での感動が、今の藍染め屋としての生き方につながる大きなきっかけだったんですね。


南部:全く知識もなく、経験もない状態でしたが、「藍染めをやりたい!」という想いは、二人目を妊娠する少し前から日に日に大きくなり、いつのまにか藍染めを仕事にしようと本気で考え始めていました。

でも目の前には家族もいるし、子どももいる。失敗するかもしれない「自分の夢」への一歩を踏み出すまですごく時間がかかりました。

——そうなんですね。藍染めを本格的に始めるまでは、どんな風に過ごされていたんですか?

南部:富山に私がやりたい藍染めの技法を学ぶ手段がなかったので、徳島まで足を運び、10日間ほどかけて藍染めの勉強会に参加したりしました。そこでは、藍染めの染め液を仕込む、入口の部分を学びました。

仕事も、将来藍染めをしたいのであれば、始めたときに活かせる仕事に就こうと思って。
「じゃあ縫物だ!」と、これまでとは一転、食関連の職歴ばかりが書かれた履歴書を持って、縫製関係の会社に飛び込みました。

入社してみると、その縫製会社は仕事中ずっとラジオが流れていて。
地方番組が多かったので、富山県内のゲストもよく出演されていて。

仕事中も常に頭の傍らに藍染があったので、自分が藍染めをしたら出会いたい人、興味をそそる人を無意識のうちにリサーチしちゃってました。

「将来、この人会ってみたい」とか「この人とコラボできるかな?」とか、メモしたり(笑)
毎日何かに集中している時間以外、ずっと藍染めのことを考えていたくらい頭から離れなくて。

——藍染めをやりたいと思いながら別の仕事をされていた期間は、もどかしさや辛さもありましたか?

南部:リサーチすればするほど、どんどん藍染めへの気持ちも大きくなって。逆に、わくわくの方が強かったかもしれません。悶々としながらも、妄想で楽しんでいたというか(笑)

——いつか藍染めを始めたときのことを妄想しながら、悶々とした気持ちも楽しみに変えていったんですね。藍染めを始めるまでの長い期間、なかなか行動できなかったのはなぜでしょうか?

南部:やっぱり子育てもしていたので、やりたい気持ちがあってもなかなか踏み込めず…。
未知の世界に飛び込むことになるので、確信もないまま不安もあったので、時間がかかりました。

ただ逆に、やりたい気持ちがあってもすぐ実現できなかったので、その間に気持ちが冷めていったらそれまでだなって思って。

中途半端な気持ちで思い付いたものだったら、その期間で熱量は下がるだろうと。
だけど、気持ちは上がる一方で…(笑)

——そうですよね。子どもがいる状況で新しい世界に飛び込むって、かなり勇気が必要だなと思います。でも、踏み出せない期間があったおかげで、藍染めへの気持ちが本物だと確信できたんですね。

娘の一言が教えてくれたこと

南部:二人目の娘も授かって子育てに専念する生活になったんですが、また次保育園に預けて正社員になってしまったら、藍染めへの時間がなくなると分かっていたので「藍染めを仕事としてやっていきたい」と、家族に認めてもらえるようプレゼンしたんです。

——ご家族はそのとき、どんな反応をされたんですか?

南部:「やってみたらいいんじゃないか」と、みんな快く応援してくれて。

それで、下の子どもが1歳過ぎのタイミングで保育園に入れ、私はパートで短時間働きながら空いた時間に藍染めの活動をスタートさせることができました。

——ようやく、念願の藍染めを始めることができたんですね。パートは今何をされているんですか?

南部:今は新聞配達のパートをしています。みんなよりちょっと早い時間に起きて、昼間の時間は藍染めをするために空けておきたかったので。


藍染めを始めた当初は、今と比べて認知度も少なく仕事量も少なかったので、他で頑張らなきゃいけないとの思いもあり、早朝2時に起きて出勤する生活を2年間ほど続けていました。

ありがたいことに、藍染めを知ってくださる方も少しづつ増え、藍染め体験のお客様も増えてきたんですけど、その一方でなかなか仮眠時間がとれなくなり、余裕もなくなっちゃって…。

それでも、子どものためだったり家族のためだったり、確保したい収入もあったので、新聞配達を辞めるわけにはいかなくて。

——そうなんですね。日の出ていない時間から仕事して、昼間は藍染めをして、子育てもして、同じ女性として尊敬します。ただ睡眠時間が少ないと、身体もしんどくなってしまいますよね。

南部:本当なら、仕事は藍染めだけに向き合い、子どもとの時間も大切にってできればいいんですが。

そこで、正直に会社に自分の状況を相談して出勤時間を調整してもらえるようにお願いしました。というのも、これまで何かをやろうと思ったときに、私の中には子どもの存在が大きくあって


ここ何年も、子どもが寝る前に絵本を読んであげる余裕もなくなっていたんです。
幼い時期は待ってくれない…余裕がなくなっている自分ではダメだと…。

一番大事にしなきゃいけないことを大事にできていない、そう感じたので。
今は以前よりも、子どもと向き合える時間ができたかなと思います。——一緒にいてあげたい時期なのに、私もできてないことが多くてすごく葛藤がありますね。やっぱり悩んでしまったり。

南部:正解も間違いもないのかなって。

どうしても自分の中で「こうありたい」という理想って、無意識にあると思うんです。寝る前に絵本を読んであげたいとか、手料理を食べさせてあげたいとか。

それが忙しさを理由にできていないと、罪悪感というか、悶々とすることは今でもありますね。

そもそも完璧な人間なんていない。私も母親として完璧なんかじゃありません。
だったら背伸びなんかせずに、ありのままの母の背中を見せてあげればいいんじゃないかって思うんです。

完璧じゃないからこそ、自分自身もまだまだ成長できると思うようにしていますし、未完成な背中でも子どもは理解してくれるんじゃないかな。

——そっか、出来ていない、そのままの母親でもいいんですね。
南部さんのお子さん達は、普段どんな風に仕事について話していますか?

南部:長女が中学校に入学する少し前なんですけど、今でも忘れられないエピソードがあって。

藍染って、素手で染め作業をすると手首から下が真っ青になるんですよ。
ふと、中学校の入学式にこの青い手で出席したら娘はどう思うかなって悩んだ時があって。

私自身は、恥じる手ではないと思っている反面、当時はまだ知名度もなかったですし、知らない人に不信感を与えてしまうのではないかと。

それで、娘に直接聞いたんです。「ママ、青い手で入学式行ってもいい?」と。
そしたら、「へ?なんで?」とキョトンとした顔をしたんです。

そこで、私の青い手を見て変な目で見られないか、そのことで友達から何か言われないかを心配していると伝えると、

「ママの手が青いくらいで何か言う子とは友達にならないから大丈夫」


その一言で、すごく私の背中を押してもらったんです。
家族がそう思ってくれていることが一番強いなって、何があっても大丈夫だなって。


ただ嬉しかった半面、この青い手を一番恥ずかしいと思っていたのは自分だったと突き付けられた瞬間でした。
自分が一番誇りに思って認めてあげなきゃいけないのに、無意識に人目を気にする自分がいたんだなと気付かされました。

その一言が、長女が私のやっている仕事に対して、誇りに思うというか認めてくれているんだなと感じたきっかけですね。

——普段口には出さないけど、ちゃんと認めてくれているんですね。家族の存在はやはり大きいですね。それが仕事の原動力にもなっているんですか?

南部:そうですね。この仕事の原動力は、子どもの存在も大きいですね。

…後編に続きます。
【インタビュー(後編)】私は藍染め作家ではなく藍染め屋さんでいたい。/南部 歩美さん

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