1970年代アメリカで開発され、心理学の中でもビジネスの現場など日常で多く使われることが多いNLP心理学。
今回、そんな日本でもまだ珍しいNLP心理学を富山で広めようと活動されている水島芽予さんを取材してきました。
NLP心理学の県内唯一の認定講師として、資格認定講座を開催する一方で、富山市内に「私らしさに”わくわく”を」をコンセプトとしたレンタルスペース「わくわく空間kitEN」を立ち上げ、イベントやセミナーの開催、カフェ運営を行うなど、多方面で活躍する水島さんの生き方についてお話を伺いました。
出会いと経験で得たもの
———-水島さんは女性起業家として活躍されていますが、いつ頃から起業家としての道を目指していたのか、とても気になります。学生の頃からそんな想いってあったんでしょうか?
水島さん(以下、水島):実はわたし、大学を5年通った末に退学しているんです。
当時、何気なく大学に入って、ただカッコいいなというイメージでフランス言語学を専攻しました。でも専攻した学科が、途中から学年で私一人だけになってしまって…。次第に孤独感みたいなものを感じるようになり、教室になかなか足が運ばなくなってしまいました。
バイトやサークルでの仲間との時間はとても楽しかったので、さぼってサークルの部室に行ったりバイトに精を出したり…そんな感じでだんだん授業に出なくなってしまったんです。
「とりあえず半年間休学してみる」と先生や親に告げて、心を休める期間を設けたのですが、結局復学しても同じで、また孤独感に耐えられず…。
それだったら、「辞めて好きなことをしてやる!」ここにしがみついていてもダメだと思ったんです。
———-そうだったんですね。大学を辞めるって、勇気のいる決意だったかと思います。辞められた後は、どのようなことをされたんですか?
水島:それまであまり考えず気の向くままに色んなことを決めていて、その時も特にやりたいことは考えていなくて。その時はただ、バイトが楽しくて仕方なくて。このバイトを主軸に頑張ってみようと思ったんです。
就職もいつかしなきゃとは考えていましたが、自然とその変化がある時期が来るだろうとなんとなく感じていたので、しばらくは気の向くままに、思うままにやってみようと。
———-バイトは何をされていたんですか?
水島:バイトは接客の仕事をしていました。お客様に商品の説明やご案内をしたり、クレームの処理をしたり、社員さんからも頼られている自分がいて、とても居心地がよかったのを覚えています。働いて人と接している方が、イキイキした自分でいられたんです。
———-人と接する仕事が水島さんには合っていたんですね。
水島:お客様と接することは、お客様のためにもなるし、お店のためにもなる。誰かのためになることが自分にとって原動力になっていたんだと、今では感じています。当時は、ただ好きという理由だけでしたが。
今だから言えるんですけど、たぶん私は、自分のためには頑張れない、自分の好きなことを突き詰めるだけでは飽きがくる…と、なんとなく分かってて。だったら周りのみんなを巻き込んでいけばいい!そう学んだのです。
———-自分のためではなく、誰かのためになること、それが水島さんにとっての一番のやりがいだったんですね。その後、就職するきっかけは何だったんでしょうか?
水島:しばらく自分は何をやりたいのか迷ったままバイトを続けていたんですが、昔から「間取り」を見ることは好きだなというのがあって。だったら、住宅メーカーがいいんじゃないか?と、小さな住宅メーカーに就職しました。
ただ、この会社で驚くことが起きまして……ある日、社長が夜逃げしちゃったんです。
急に朝社長が来なくて、連絡もつかなくなって。その日からは、業者さんのクレーム対応やお客様への対応に追われる日々でした。もちろん給料が出る訳もなく、2ヵ月間の収入はなしです(笑)。その当時25歳くらいだったんですが、すごい経験だったなと実感してます。
———-ええ!?20代前半で、そんな大変な経験をされたんですね。でも、そのたくさんの経験で得られたこともきっと多いんでしょう。
水島:そうですね。そんなことが起こっていても「なんとかなる」って思っている自分がいたのを覚えています。今思うと、ある意味大物だったなと(笑)。そして、有難いことに、そのとき関わった方からの紹介で、ほどなく別の住宅メーカーに就職させていただくことができました。
そこでは営業職だったんですが、なかなか営業成績が伸びず…自分には営業は向いていないと考えていたとき新たに手を差し伸べてくれた方がいました。それが、次の勤め先となる不動産会社のN社長です。
N社長はとても面倒見がよい方で、まるでお父さんみたいな。時には厳しく、社会人としての常識やマナーも教えて下さり、とても学ぶことも多かったんです。
———-その方との出会いが、気持ちの面でも大きな変化があったんですね。
水島:そうですね、出会えてよかったと本当に感じています。あの方がいなかったら、今の私はいないだろうな…(笑)
NLP心理学との出会い
———-私は今回初めて「NLP心理学」というのを知ったんですが、アメリカでは日常的に使われるポピュラーな心理学なんですよね。大統領も使われている心理学だとか…。そんな最新鋭の心理学に出会ったきっかけは何だったんでしょうか。
水島:結婚後も2年間くらい不動産会社で働いていたんですが、夫との休みが合わないことと、妊活を始めたいという想いもあり、会社を辞めて専業主婦になった時期があったんです。
でも、結局2か月ほどで「専業主婦いやだ!外に出たい!」って、耐えられなくなってしまって(笑)
何かしたいと思って目を付けたのが、投資。
学べる方法を探す中で、福井に本社がある投資スクールに出会い、富山でも広めていくために講師としてのスキルも学びました。
人とお金が向き合う現場に立ち会っていたので、いろんな方の人生観や価値観に触れる機会も多く、さらには経営者としての立場から考える機会をいただくこともあり、いろんな気付きがありましたね。
そして、その投資スクールが投資と絡めて取り入れていたことが、NLP心理学だったんです。
———-出てきました!NLP心理学!ちなみに、投資と心理学って関係あるんですか?
水島:投資というのは、人の生活に密着しているもの。株価が上下する=自分の気持ちを揺さぶられるようなものなので、投資を行うためにはメンタルコントロールが必要なんです。
そしてそのメンタルを保つためには、何のためにお金を稼ぐのか、という原動力が必要なので、最終的には自己管理と目標設定がないと投資は上手くいかないんです。
———-そっか、確かにお金が絡んでいるからこそ、心がグラグラに揺さぶられますよね。投資にはしっかりとしたメンタルコントロールが大切なんですね。
水島:そのNLP心理学の「目標設定」の概念が、私にとっては大きなターニングポイントとなりました。
「〇〇だからできない」とか、「今は無理」とか、多くの人はそんな気持ちを持ってますよね。でもNLP心理学は、「~だから」を全て取っ払って、自分の行きつきたいところの理想を考えるんです。私もその思考でいろいろと考えていたら、自分のやりたいことが見えてきたんです。
私は、周りが賑やかだったり楽しみや想いを共有できる仲間がいたりすることが一番幸せなんだと。みんながわ~っと賑やかにしているのを、外から見守っているのが好きなんだなと。
やりたいことを見つけるきっかけをくれて、人生観をかえてくれたのが、NLP心理学でしたね。
「なんだ?この心理学は!?」と本当に衝撃的でした(笑)
———-NLP心理学が、本当にやりたいことを心の中から引っ張りだしてくれたんですね。人生観の変わる出会いとなったNLP心理学ですが、学んで習得するまでやはり大変でしたか?
水島:周りからは大変そうに見えたと思います。NLP心理学を学べるところが富山にはなくて、名古屋のスクールまで通っていました。
毎週朝イチのバスで名古屋に行って、朝から夕方まで講義を受けて、夜にも講義があるときは、泊まって次の日の朝帰ってくる…というような生活を半年間続けました。
始めは、半年間通えるか不安もありましたが、毎週通うのが楽しくて楽しくて。あっという間でした。
水島:それに、NLPは前向き思考を作り出す心理学なので、一緒に講義を受ける仲間もみんな前向きで、とてもいい雰囲気だったんです。その空間に身を置くことも頑張る意欲にも繋がりましたね。
———-周りの支えも多くあったんですね。
水島:そうですね、いつも応援してくださる方も多く、とても支えられました。
その時の仲間たちは、心理カウンセラーとして活躍されている方もいますし、自分の仕事に繋げている方もいますね。この心理学は、「人間力の土台を一段上げる」という感じなので、なんにでも応用が利くんです。
———-あらゆる仕事に通用する心理学なんですね。人間力を上げるって一見難しそうですが、前向き思考に変えることで実現するんですね。
一歩を踏み出す後押しができたら
水島:NLP心理学を学んで、初めはカウンセリング業をしようと思っていましたが、認知されていない富山では、私一人ではNLP心理学は広まらないと感じ、だったら富山でNLP心理学を広める人を増やそうと思いました。そこで認定講師になるために、渡米して3週間ほどトレーナースキルを学びました。
———-そうなんですね。じゃあ「わくわく空間kitEN」を始められたきっかけには、NLP心理学のスクールとして活用したい想いもあったんでしょうか?
水島:そうですね、NLPを広めたいと思った前提にも、もっと笑顔を増やしたいという想いもあって。ちょうど良い場所がないか探していたときに、たまたま通勤途中でこの建物が「売り家」として出ているのを発見しました。建物を見た瞬間「これだ!」と直感的に感じたんです(笑)
不動産屋で働いていた時に、ネイルやエステサロンなど小さなお店を開きたくても予算の関係で断念する方をたくさん見てきたこともあり、もっと安く定額でテナントとして提供できたら…もっと気軽に開業したい人が増えるんじゃないか、やってみようという気持ちを後押しできるんじゃないか、と思ったんです。
入居者同士が顔を合わせないことも多いビルとは違って、一軒家の建物ならどうしても顔を合わせる機会も増える…私の苦手とした一人じゃないって思えるんじゃないかって。
なかなか一歩を踏み出せない方にも、役に立てるんじゃないかと思ったんです。
———-一歩が踏み出せない方って、絶対多いと思います。そんな方々が笑顔になれる場所。笑顔を生み出したいという、水島さんの想いが全部がつながっているんですね。この場所を起点に、新しい道へ巣立っていく方も多くなりそうですね。
水島:そうですね、ここにずっといてほしいっていうより、軌道に乗れば別でお店を開業するなど、ここを踏み台にしてうまく利用していってもらえればと思っています。
常に自分に問いかけて
———-今、一番やりがいと感じることは何でしょうか?
水島:私の原動力は、やっぱりみんなの笑顔ですね。ただの笑顔じゃなくて、「やってみよう」というキラキラした笑顔が一番のやりがいになっています。
———-心理学を学ばれてから、迷ったり悩んだりすることは無くなりましたか?
水島:これは私の持論ですが、迷うと悩むは別物だと思っています。
迷う=どこに行ったらいいか分からない、どの方向を向いていいか分からない。
悩む=〇〇したいけど、どうしたらいいかな?どんな方法があるかな?
という風に、似ていますが全く違うんですよね。
だから、今は行きたい方向がちゃんとあって、それに対してどう解決するか?など悩むことはありますが、迷うことはないですね。
進みたい道が決まっているから、それに向かって課題を解決しながら突き進むって感じ。
この場所や知識を使って私は何ができるだろう、どんな人に届けられるだろう、というのが今の悩み。悩みはついて回るのが当たり前だと思うんですよ。
だって、「脳」って漢字に「心」を入れると「悩」になるでしょ?(笑)悩むって、よりよい方向に行きたいって証拠なんだと思ってます。
———-本当だ!!思いっきり悩んでもいいんですね。水島さんは、これからの人生の進みたい道は、しっかり決まっているんですね。どんな道か少し教えて頂けますか?
水島:65歳以降はゆっくり過ごしたいなと。
それで、今一緒にいる人や、今後出逢うであろう人達、わくわくを共感できる仲間と一緒に、村を作ろうかなって思ってます!
その頃にはIT社会なので、どこにいても場所を問わずなんでも仕事ができる時代になっているんじゃないかと。だから、自然の多い場所に村のような集落を作って、のんびりするのもいいなって。
人生のピークは、この年齢あたりかなと、もう決めてます!(笑)
———-素敵な目標があるんですね。水島さんなら、必ず実現してくれそうです。今後、いろんな働き方が増えてくると思います。そんな中で、女性はどんな働き方が理想だと思いますか?
水島:女性って、結婚とか子育てとか、社会的にいろんな制限が出てきますよね。そんな中でも、自分が納得できる道を見極めていけたらいいかなと思います。
いろんなモノゴトがある中で、「何かしなきゃいけない」というわけじゃなく、たくさんの選択肢から「私は〇〇がしたい」と自分で納得して選んだ道を進むことが大切だと思います。
———-自分が納得する道を進むために、どのようなことを心掛けるべきか、アドバイス頂けますか?
水島:常に自分に問いかけることですね。本当に自分がやりたいことなのか。
最終的に見てほしいのは、自分の気持ち。どんな気持ちを味わえたら幸せを感じることができるのか、最初に立ち返って思い出してみることが大切です。
例えば、「なんで自分はこの仕事をやろうと思ったのか」「それを行うことで、どんな気持ちを味わいたかったのか」を振り返ってみて、それがこれから実現できるのか?を考えることが大事かなと思います。
———-常に自分の気持ちに問いかけることが大切なんですね。私もつい「〇〇しなきゃ」という言葉を使いがちでしたが、自分がやりたいこと、進みたい道をしっかり見つめ直していきたいと、お話を伺って感じました。
いつも笑顔で前向きな水島さん。周りのみんなが笑顔で輝いていることが、水島さんの一番のやりがいでもあり、幸せなことだとおっしゃった姿が、とても印象的でキラキラとしていました。
とても参考になるお話をありがとうございました。