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【インタビュー】経験してきたこと全てが宝物/アンカーウーマン金澤 髙木 眞澄さん(前編)

髙木 眞澄さんは、16年間専業主婦を経験したのち総合人材サービス会社に就職。

法人営業、人材コーディネート、キャリアアドバイザー、コンサルティングに従事し、人と企業のマッチングに重点を置いた営業で実績をあげてきました。

現在は、個人事務所「アンカーウーマン金澤」を立ち上げ、野々市市にあるシェアオフィス「1の1NONOICHI」を拠点に、幅広く活躍されています。

4人の子どもを育てながらキャリアを積み上げてきた、髙木さんのパワー溢れる人生についてお話を伺ってきました。

もっと自由に「働く」に関わりたい

————-髙木さんは、とても面白い働き方をされていると伺いましたが、具体的にどのような仕事をされているんですか?

 

髙木さん(以下、髙木):独立した当初は、「人が働く」とか「女性の働き方」に関するキャリアコンサルタントとしての仕事をメインにしていたんですけど、今はごく僅かで。全体の3/4ぐらいは違う仕事をしているんです。

働き方の相談や起業の相談にのるなど、キャリアコンサルタントとしての仕事以外に3社と業務提携をしています。

1社目は、台湾にあるIT企業で、業務マネージャーの仕事を外部委託されています。
2社目は、金沢にある研修会社で、半分裏方半分営業の仕事をしています。
そして3社目は、人材派遣の会社。その会社はキャリア教育という研修を取り入れていて、年に6回ほど講師として教壇に立っています。

 

—————-すごい幅広いですね!業界も業種もさまざまで、一体何の会社か分からないくらい(笑)

 

髙木:そうそう。何やってるの?って聞かれても、何の会社か自分でも分からないくらい(笑)
本来はキャリアに特化していたつもりでしたが、外部からの依頼に応えていくうちに、どんどん幅が広がっていった感じなんです。

でも、それが面白くて(笑)実際どの仕事も、「人が働く」というコアな部分では全部繋がっているんです。

例えば業務マネージャーの仕事にしても、人のモチベーションとか働く姿勢とか、無視できないので。それって、人のコンサルティングと一緒なんですよね。

 

—————-独立される前は、人材サービス会社で働いていたんですよね。そのときから、いつかは独立したいという気持ちはあったんですか?

 

髙木:なかったですね。ただ私、去年55歳のゾロ目になって、ちょうどその年に子ども達が全員社会人になったんです。そしたら「終わった~」って、私の中で解放されたような気持ちになって。

今度は自分のことを考えよう、そう思ったんです。

60歳まであと5年。人生100年時代のこの先、何歳まで働いて何をする?って改めて自分のキャリアの棚卸をしたときに、いつまでも法人営業じゃないなって思ったんです。自分はどうしたいのかを本気で考えて、その一環でキャリアコンサルタントの資格も取得して。

もっと自由に、働く人に関わりたい。そう感じたことが、独立を決めた理由の一つですね。

あとは、子どもを養わなければならない義務がなくなったので。だったら私の人生、ダメならダメでまた考えればいいし、私のことだけを考えて自由に生きてもいいんだよねって。

養う責任がなくなったことも、背中を押した大きな要因だったと思います。

 

派遣って何ぞや?

—————-人材サービス会社に就職する前、16年間専業主婦をされていたそうですが、社会復帰にはやはり大変なことも多かったですか?

 

髙木:すごくありました!!(笑)
一番下の子が6歳くらいのときに仕事を探し始めたんですけど。

「何をして働こうかな~」って考えていたときに、知人が「こんな求人が出るよ」と紹介してくれて。それが、たまたま人材派遣の会社だったんです。だから、派遣会社が何かも分からなかったし、営業職も初めてだったから、「営業って何するの?」って感じで(笑)

 

—————-そうなんですか!?髙木さんにも、そんな時があったのが意外です(笑)16年間のブランク後、いきなり初めての営業職・・・肝が据わってますね(笑)

 

髙木:ほんと、よくぞ私を採用したなって感じですよ(笑)
入社1日目は、会社のマナー研修と、ハローワークへ行って世の中の求人がどうなっているかを先輩に教えてもらい。2日目は先輩に同行させてもらって。

そして3日目の朝、名刺100枚、携帯電話、営業車のキーを渡されて、「今日から一人で行ってきて」って言われたんです。「え??意味わからん」って目が点でしたよ(笑)

その日は、とりあえず「いってきます」と外に出て、行くところがないから家に帰りました(笑)

 

—————-3日目で営業一人デビューですか!?(笑)そりゃ、目が点になりますよね~。

 

髙木:でも、家に帰って洗濯しながら、このままじゃダメだなって思って。とりあえず、営業って何ぞや?派遣って何ぞや?というところから調べようと思いました。

そこで思いついたのが、図書館。営業職や派遣について書いてある書籍をありったけ借りて、ひたすら読み続けました。それが大体2週間くらい続いたかな。

あとは、オフィスにいるときは、インターネットで無料の営業研修や育成研修セミナーを見つけて、業務の一環と割り切って参加したり・・・そんな感じで、約2ヵ月間ほど自分なりに勉強しながら知識を増やしていきましたね。

 

—————-さすがですね。自分であらゆる方法を見つけて、ひたすら勉強されたんですね。

 

髙木:それから「私が働き始めたことを、知人や友人に知らせに行こう」と、ありったけの名刺を持って配り周りました。「私、今こんな会社にいるから」って。なかには経営者さんもいたので、それをきっかけにご成約に繋がったりして。

慣れてくると「人を紹介する仕事って、こういうことか~」って分かってきて。人と会社のマッチングというか、お見合いみたいな感じだなって(笑)やりながら教えてもらったり、覚えたりしながら、だんだん成約もとれていきました。

 

—————-確かに、人と会社をうまくお見合いさせるイメージですよね。髙木さんはとても親身にお世話してくれそうですね。

 

髙木:私おせっかい焼きだし、人のお世話するの嫌いじゃなかったので、結構自分に合っていたのかも。
もしあのとき、私を採用してくれていなかったら今の私はないだろうし、あの面接を受けたことが大きな転機だったと、今振り返ると感じます。

その派遣会社は、営業だけどノルマはなくて、割となんでも寛容な会社だったんです。大きな会社だったので「組織」というものを学ばせてもらいながら、山あり谷ありで10年ほど在籍しました。

 

 

…後編へ続きます